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周回遅れの読書 湖中の女 [书]


湖中の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

湖中の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

  • 作者: レイモンド チャンドラー
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1986/05/01
  • メディア: 文庫



これも中古本で読みました。ところが、このアマゾンの画面の中古本とは表紙が違う。発行年度は同じのようだけど、第二刷だからかな?この「湖中の女」は1943年に発刊された。でも、内容は全く古くない(翻訳には古式ゆかしいものがあります。カフェオレ色と言えば今では日本でも通じるでしょう。が、この小説では「牛乳入り珈琲色」と翻訳してあった。当時はカフェオレと言っても日本では通じなかった?昭和61年頃の翻訳だけど、、、)。

でも文章はとても格好良い。ハードボイルドなんです。前に読んだ「長いお別れ」や「さらば愛しき女よ」よりもよりハードボイルド、硬派。この作品はそれよりも前に書いたもの。鏡に映った自分の顔を描写してさりげなく心理描写するところなどがさすがと思わせる。映画なんぞに映像化されなくても、小説の描写だけでその場その場のリアルな場面が浮かび上がる感じです。さすがだなと思います。

出て来るフィリップ・マーロウ探偵は徹底してクール。ギムレットは出てこない。シラフでクールです。女っ気もなし。この後に人気シリーズになったので、少し軟化したのか?と思ったりします。第二次世界大戦中である描写がさりげなく時々出て来る。戦時物資として供出された道路のブロックのことなどが冒頭に出て来ます。豊かな国の米国でもそうだったのかと。

この本、田中小実昌も翻訳しているんですね。私がその昔、読んだのはこの田中小実昌のものらしい。ハヤカワ・ポケット・ミステリーで、中学生の頃にこのポケットシリーズを買ったり、友人から借りてして読んでいた。懐かしい。最新翻訳は村上春樹(2017年)で、なぜかタイトルが「水底の女」になっています。米国では1947年に映画化されたようですが、映画はヒットしなかったようです。初めは脚本をレイモンド・チャンドラー自身が手掛けたようですが、うまく行かなかった。ハードボイルド小説の映像化は難しいでしょうし、俳優の演技力がないと成り立たない。フィリップ・マーロウ役は美男のロバート・モンゴメリーが演じたのですが、かなりイメージが違う。


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周回遅れの読書 熊の敷石 [书]


熊の敷石 (講談社文庫)

熊の敷石 (講談社文庫)

  • 作者: 堀江 敏幸
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004/02/13
  • メディア: 文庫



なかなか良い小品だと思いましたが、フランス文学をやっている著者なのか、感覚がやはり日本的ではないのです。それが悪いわけでは決してないです。私も外国暮らしを2年ほどしていたので、なんとなく日本とは違う文化風土があるということがわかります。

テーマは、ラ・フォンテーヌの寓話と同じです。老人と仲良く暮らしていた熊が、老人の鼻の上にとまった蝿を追っ払う為に、重い敷石で鼻の上の蝿をはらったら、老人の頭を割って老人を死なせてしまったというもの。

ナンジャそれ?と思うでしょうが、寓話の意味は、変に知った仲の方が余計なことをする、あるいは要らぬお節介というものです。この小説では、知らない他人同士よりも、変に知った同士であるが故に、かえって意図せずに他人を傷つけるものだということ。

でも、そんな明示的な小説のテーマだとすると、余りにも日本的でないような気がします。そりゃそうです、この小説は日本人の主人公とユダヤ系フランス人の友人との交流でなりなっている話ですから。芥川賞受賞の評には余りにもエッセイ的だとか貶す審査員も居ましたが、私は結構、この小品に惹き込まれした。

この小説を読んで感じたのは小説の出来不出来よりも、外国人との交流をモチーフに日本の小説を書くことの難しさです。未だに洋画と邦画という言葉があるように、映像文化も含めて日本と海外ではまだまだ異質すぎるのです。この本の他の二編の短編も、フランスでの想い出をモチーフに書かれたもので、映像化されても「東京物語」には間違ってもならないものです。

こういう小説を読むと、海外と日本の文化風土のギャップが明確になってしまい、洋画を見るように初めから日本とは違うと先入観が出来てしまう。ではフランス色無しで本を書くとどうなるのか?と少し気になりました。純粋の和物は書けないのでは?と下衆の勘ぐりのようですが、、、、


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周回遅れの読書 夏の約束 [书]


夏の約束

夏の約束

  • 作者: 藤野 千夜
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2000/02
  • メディア: 単行本


アットランダムに本を読むので、芥川賞受賞作品というので買ったのですが、これはLGBTの話でした。トランスジェンダーな作家がトランスジェンダーな話を書いたわけで、例によって単行本の中古を買って届くと、やたらと楽しそうな装丁でした。何の話かと思うとLGBTで納得。

LGBTを差別するつもりも無いのですが、取り立てて関心もないので初めは読んでもピンと来るところがなかった。芥川賞受賞作品だけあって、平板な描写ではなくて登場人物は生き生きしているのは確か。兎も角、多種多様性を内包する社会が私の理想ですから、ほのぼのとしたストリーに違和感はないです。

主人公のマルオが受けた嫌がらせや、小説中に「なかよし学級」の逸話が出てきます。こちらでは「ひまわり学級」というのかな、今で言う特別支援学級ですが、そんな学級に行く子に優しくしていたのがLGBTの子だったという逸話。社会的マイノリティは同じようなマイノリティには優しさを抱くんだろうと思いました。

特別支援学級に通う子供達や特別支援学級に行かなくても支援が必要な子供は、人口の数%は居るのが現実です。LGBTが何パーセント居るのかわかりませんが、そういう人々にも差別ない多様性を持った社会に成熟するのが社会の熟成度というもんでしょうね。

追記:時々あるのですが、読んだ直後は大して印象に残らないのですが、後からあの本は良かったというものがあります。これもそうで、主人公のマルオと恋人や友人たちのほのぼのとしたやり取り、優しさがよく描けていると改めて印象づけられました。あと、表紙になぜフランス語でタイトルを書いてあるのか?ただの装飾なんでしょうかね、、、


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周回遅れの読書 予告された殺人の記録 [书]


予告された殺人の記録 (新潮文庫)

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

  • 作者: G. ガルシア=マルケス
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1997/11/28
  • メディア: 文庫


ノーベル文学賞受賞のガルシア・マルケスの小説ですが、いつもの幻想的な話ではなかった。もともとガルシア・マルケスはジャーナリスト出身なんですが、小説は30年程前の知り合いが殺された事件について、関係者へのインタビューで再構成していくストリーです。なぜ事前に予告された殺人が防げなかったのか、あるいは被害者が逃れなかったのか?

しかも殺す側でさえ、どうも未然に止めて欲しかったようなんですが、事件の起こった街全体でなぜ防げなかったのか?30年程前なんで、その後の関係者はどのように過ごしてきたのかまで明らかになるのですが、謎は謎のままで終わる。こう書くとなんだそんなストリーなのか?と思ってしまうのですが、過去の殺人事件なのに引き込まれて読み進んでしまう迫力があります。

ストリーの殺人事件は、いわゆる名誉殺人事件です。先日読んだ「百年泥」でもインドのカースト制度社会の名誉殺人を描いていましたが、中南米の古いカトリック教下では花嫁が生娘でなければ、婚礼が破綻し、生娘を奪った相手を家族の名誉を守るために殺すことが容認された風土があった。

今の日本とは遠い話のような気もしますが、日本でも江戸時代、仇討ちは社会的に容認されていたわけで、それほど社会通念上は奇異なものではないのが名誉殺人。しかも、最近の日本の裁判でも制裁、仇討ち的な要素がマスコミが煽って強調されかねない風潮があります。それを思うとこの小説の話は遠い異国の話では無いような気がします。

兎も角、構成が素晴らしくて一気に引き込まれるような感じで、やはり幻想的な小説と言えそうです。幻惑的とでも言うべきか。海外ではこの小説は映画化されたようですし、モデルとされた事件は小説発表後に、再度裁判沙汰になったとか。フィクションなんですが、筆が過ぎるとフィクションがノンフィクションと混同されかねない。筆が過ぎるとは悪い意味ではないのですが、真偽が曖昧になるほどの筆力なんでしょう。




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周回遅れの読書 百年泥 [书]


百年泥 第158回芥川賞受賞

百年泥 第158回芥川賞受賞

  • 作者: 石井 遊佳
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/01/24
  • メディア: 単行本



面白い本なんですが、この小説の構成はファンタジーなんです。一つ一つのエピソードというかストリーはそれぞれに独立して小説化できそうなんです。が、わざと統一性を崩して舞台のインドと日本社会との対比を表そうとしたのか。主人公のキャラクターだけでも小説化が出来そうなテーマなんですけど。

才気溢れすぎてまとまりがなくなり空中分解しそうな構成を、インドの洪水というエピソードで繋ぎ止めているのが秀逸です。だから一つの小説として読んでいて違和感がない。が、これはいつも使えるような手ではない。月刊文藝春秋付録の芥川賞受賞作品を読むと受賞作品だけしか読めません。しかし単行本化していると大抵、別の短編が入っていますから、著者の作風がある程度わかるのですが、それが月刊文藝春秋では出来ませんね。この著者の別の作品はどうなのか?と思いました。

一つ一つのエピソードは当然のことながら深く描いていません。深く描かないで、次のエピソードを持ってくる。それで読者の視点を変えてしまう。その効果を狙ったのか。それとも一つ一つエピソードを深化することが出来ないのか?筆力はあるのかな?と思いました。私はもともとファンタジーはあまり好まないたちなんで、ごまかしファンタジー抜きでの真剣勝負ではどうなのかな?と思いました。真筆勝負かな。


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周回遅れの読書 おらおらでひとりいぐも [书]

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

  • 作者: 若竹千佐子
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/11/16
  • メディア: 単行本



所用で新幹線で東京往復をしたので、新幹線で読むものというので駅の売店で、第158回芥川賞受賞作品が載っている文藝春秋を買ったので、「おらおらでひとりいぐも」を行きで読み、帰りに「百年泥」を読みました。だから周回遅れではないのですが、コスパがよろしいのです。昔は読んだ月刊文藝春秋は、論調が保守的で右派なんで読まなくなりました。で、芥川賞受賞作品部分だけを切り残し、残りは道中の邪魔になるんで捨てました(笑)。右派の意見なんぞ読まんでもわかる、タイトルだけで十分。

「おらおらでひとりいぐも」は、兎に角、読みにくい。よみにぐい。どっでもよみにぐいので、おら、なんどもよむのやめっぺがっどおもだ、なんどがしてけろっで、、、主人公の老婆の桃子さんの頭の中の思考、回想なんですが、そこまで方言で表す必要があるのか?と思いました。同じ語句の繰り返しも多いのですが、桃子さんは◎◎と何度も反芻し続けるのだったとかで済むのですが、延々と繰り返しを記している。その効果を期待してでしょうけど、よみにぐいんだ。

私は純系東北人ではないのでなんとも言えませんが、この方言自体が架空のような気がします。演出された方言のようで、フィクションなんだからいいような気もしますが、なんだか違和感あります。テレビドラマの方言が、実際に使われている方言ではないので、こんな東北弁無いだろうという違和感と同質の居心地悪さ。

さて、内容はお一人様老婆の孤独感とそれでも一人で生きるけなげさでしょうか。高齢お一人様の良い面、明るい面だけを書いているので、これからお一人様高齢者を生きようとする方々へ誤った明るいメッセージを送ると言えば書きすぎですが、楽天的なストリー。お一人様高齢者は、この小説の終わりからが勝負であって、それを書いて今度は直木賞をとっておくれと思います。ちょっと皮肉が過ぎますが、、、

あんまり書きたくないのですが、私は内科医やっていて、外来に時々、破綻したお一人様高齢者孤独病が来て難渋します。内科的にはなんの病気も疾病もない。孤独病です。人はね孤独では生きて行けないのよ、それ病気じゃ無いでしょう、、と。白けたこと書きますが、むりむりおめぇひどりでいげねぇ!!

でも読む価値ありますわ。著者はわだしどおないどしだでば、、、、


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周回遅れの読書 母は猛スピードで [书]


猛スピードで母は (文春文庫)

猛スピードで母は (文春文庫)

  • 作者: 長嶋 有
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/02/01
  • メディア: 文庫



芥川賞受賞作品はこの本のタイトルと同じ「母は猛スピードで」です。もう一つ「サイドカーに犬」がこの本に入っています。一番驚いたのは、解説にも同じようなことが書いてありましたが、この著者はてっきり女性だと思ったのです。が、男性だった。二つの作品とも子供の視線で見た大人の世界を描いています。それが新鮮です。

「母は」は男の子、「サイドカー」は女の子です。著者は漫画家でもあるから子供の視線がよく描けるのか?と思ったりしましたが、子供の視線で見る大人の事情が面白い。「母は」はシングルマザーで、「サイドカー」は離婚するヤクザな父親とその若い愛人の短い夏休みの日々を書いています。

主人公の男の子も女の子も、穏やかで微笑ましい可愛らしさがある。決して恵まれて安定している家庭ではないけど、むしろその正反対の家庭においても、穏やかに育つ子供の視線がほんのりさせる作品です。しかし、現実はどうなのか?そんな子供に育って欲しいという身勝手な大人のエゴなのかもしれません。そう考えると、これはあくまでもフィクションなんだろうと白けるような気もしますが、、、、「サイドカー」では、主人公の幼い弟はその後にグレたとある。

描かれた大人の方はどちらも大人になり切れなかった失敗大人です。残念で冷たい現実で、子供の視線がいたいけなだけに対比が怖い。大人が大人の事情でストラッグすると、その親を見る子供達もノンビリはしていられない。無意識に親のご機嫌を損なわないように気を遣う。それが上手く描けている。それが逆に切ない作品です。


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周回遅れの読書 騎士団長殺し [书]


騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/02/24
  • メディア: 単行本


もっと後で読む筈だったんですが、思わず手に入ったので読んでみました。新しい本なのでネタバレはしません。が、これはファンタジーなんですね。もともと村上春樹はそういう作風なのか?あまり村上春樹の本を読んでいないのでわかりませんが。ファンタジーはあまり好みで無いのですが。南米の作家も、幽霊だったり死人だったりの幻想的な本を書きます。

が、幻想的な本とは言えないようなのがこの「騎士団長殺し」です。でも現実でもない。読み始めると、すぐに村上春樹ワールドにのめり込みます。ページ数にするとかなりの分量ですが、あんまり気にならないうちに読み終わります。村上春樹ワールドであって、現実でもないし、時代性も、社会性も、地域性もない。

舞台装置は、いつものように高級車であったり、上等のアルコールであったり、洒落た料理だったり、クラシック音楽だったりジャズだったり、かなりのリアリティがあります。商品名がポンと出て、現実のトレンディーなシティー感覚ですが、でも小説の中核部分は非現実的ファンタジーです。ファンタジーに逃げていると言えば言いすぎなのか?あるいは綺麗事にしているとは言ってはいけないのか?

村上春樹が新たに翻訳し直したレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウ私立探偵シリーズの方が遙かにリアルです。当然のことながら、探偵ものに幽霊や化け物が出てきたら白けますから。ゴーストバスターじゃありませんからね。でも、この「騎士団長殺し」はゴーストバスターと同質なんですね。こういうファンタジーの要素があると最後の方は腰砕けになるんですが、やっぱりそういう傾向になります。それで良いという村上春樹ファンも多いでしょうけど。

南米の作家は幻想的なものを書くと思いますが、ファンタジーじゃないと思うのです。それは南米の風土からです。南米の多くの国家が、その昔、スペイン、ポルトガルによる原住民の虐殺と滅ぼされた古代文明の背景を持ち、今でも政治的に不安定で麻薬におかされ状況があります。幻想的な本を書いてもそれはリアリティーと言えるでしょう。でも村上春樹ワールドは違います。浮世離れしたファンタジーです。著者が描きたい核心はファンタジーをもって形成されている。

それでも読者諸君はこのファンタジーを読んでもガッカリすることはあらない(笑)。「千と千尋の神隠し」の小説バージョンと思って読むとよろしい。


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周回遅れの読書 ロリータ [书]


ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)

  • 作者: ウラジーミル ナボコフ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/10/30
  • メディア: 文庫


どうも「ロリコン」とか「ロリータ」には先入観があって、その先入観でこの本が誤解されていると解説してありましたが、100ページくらい読んでもちっとも乗らないのです。異常なる少女愛の主人公の話ですが、少女は可愛いとは思っても、どうもついて行けない心理描写が延々と続いて、途中で何度も投げ出そうと思ったんですが、でも、このまま読むのを中断すると一生積ん読になると思い、読み切りました。

文体は冗長とも言える修飾句が延々と続くので、かなり読み難いのですが、これは好みの問題で、私は意外にこういう文体は好きです。さらに書かれた当時や過去の文芸作品の皮肉、揶揄、引用があって、これも興味あるものです。これらは大学の講義のような注釈がいちいちウザい位につけてあって面白いです(ちなみに翻訳者は大学教授)。

日本語に翻訳するのは大変だなあという本で、これをそのまま英語で読めばすんなりと入る文体じゃないか?と思いますが、英語で読む程の英語力が無いので仕方無しです。この「ロリータ」ですが、本の名前は知っていました。が、もともとフランスの出版社でポルノ小説として出版されて、やがて文学として米国で出版されたもの。昔のポルノか?文学か?芸術か?というポルノ映画のキャッチフレーズの走りとなった作品でしょう。

西加奈子の「i(アイ)」を読んだら、「テヘランでロリータを読む」のことが出て来て、これでも読むか?と思ったのですが、待てよ「ロリータ」は読んでないし、テヘランの前に「ロリータ」は読んでおくべきだなと思ったのです。

この「ロリータ」ですが、序、第一部、第二部、『ロリータ』と題する書物について、の四部構成なんです。この版では、注釈が充実しているのですが、注釈は二度目に読む時に見るようにと但し書きがある。そして、解説は「野心的で勤勉な小説家志望の若者に」という副題がついて、なんと大江健三郎が書いています。つまり、これはプロ向きの小説なんです。プロとは、小説家志望でもいいし、読書のプロでもいいし、ポルノのプロでもいいし、精神科医、心理学者、犯罪学者でもなんでもよろしい。よって素人にはお勧めしない。一見(イチゲン)さんお断りの小説。

第二部については、この後半は幻想なのか事実としての描写なのか論争があるような終わり方。ポルノというよりミステリー小説風なんですが、解釈は一定しない。著者のナボコフは、ロシア革命でパリに亡命し、さらに米国に渡ったロシア人。米国で大学に勤めながら、大学が夏休みになると趣味の蝶々を捕りに全米各地を車で旅行したようで、この「ロリータ」もロード・ノベル風でもあるんです。1930年代から40年代の米国の幹線道路のモーテルの実情がわかる。

ネタバレですが、この主人公の溺愛したロリータ嬢も成熟して主人公とは別の若者と普通に結婚して?大きなお腹の妊婦になるのですが、それでも主人公はこの元ロリータ嬢と一緒に棲むことを望む。主人公は病的なロリコンだったのですが、最後は一人の女性をトコトン愛するノーマルな男性に変貌しているんですね。だから、第二部の後半は事実の描写ではなくて幻想じゃないかと私は思います。この本は異常なる少女愛の病的男性が嫉妬深い普通(何が普通かは相対的ですが)の中年男性に変貌していく過程を描いている。かな?

ともかく、読書のプロと自任する方にはお薦めの小説ですわ、、、、


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周回遅れの読書 夜の果てへの旅 下巻 [书]


夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)

  • 作者: セリーヌ
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2003/12/01
  • メディア: 文庫


読み応えある分量で、上下巻で800ページ程となる本でした。差別用語も満載ですが、当時の表現で違和感は無いです。ただこの本は古い本ですから、今なら絶対ダメでしょう。前巻の終わりでは米国に幻滅しフランスに帰国するところで終わります。拝金主義、ビジネス主義、貧乏はそれだけで悪だという新世界に失望してフランスに戻ってからの物語が下巻です。

フランスに戻り主人公は医師になります。が、パリ郊外の貧民地区に開業。勿論、医療保険制度の無い時代ですから、裕福な病人以外には満足な医療費を払えない。貧民地区に開業しても儲かるどころか、主人公も爪に火を灯すような貧乏生活、家賃を踏み倒して夜逃げまでする。貧しさが人の醜さを炙り出すような生活描写が続きます。

青春を過ぎた主人公は、自身の行動力や情熱の枯渇を自覚し始め、それが新たな苦悩となり始めます。前巻では第一世界大戦の前線から離脱逃亡して、アフリカへ、そしてアメリカへと夢を求めて、貧乏から逃げ出したくて、流浪するのですが、下巻ではその逃げ出だそうとするエネルギーも無くなります。

ついて回るのは貧困と、過去の亡霊を背負ったような友人。その友人は前巻で敵前逃亡を図った悪友。彼は金のために老婆殺しまでやるような人物ではあるが、社会的な束縛を嫌い何かを求めて流浪する主人公と同じような精神構造の男。その悪友は最後まで束縛を嫌い、それが故に死に至り、その友人の死をもって物語は終わる。

1932年の小説ですが、当時、色々と評論されたようですが、読みやすいとは言えない、飛躍の多い独特の文体ですが、私にはわかりやすい作品でした。先日、改めて読んだ「ライ麦畑でつかまえて」と同じモチーフです。ただ、背景が全く違う。この「世の果て」は、背景が戦争、貧困です。その中で青春期の主人公は何かを求めてさまよい歩く。

やがて、その何かが判らないままに青春期のエネルギーを失い、貧困の現状に留まることしか出来なくなっても何かを求める枯渇感は癒やせない。「ライ麦畑でつかまえて」の主人公は裕福な少年で、少年であるが故に最後まで生活感が無かった。こちらは戦争と貧困が主人公たちの生活を脅かし続ける。でも、何かを求めるという精神の彷徨は同じテーマ。

この著者は、第二次世界大戦後に反ユダヤと曲解されてフランスに居られなくなり、デンマークに亡命。その後、恩赦で帰国するも病気と貧困の中で亡くなる。亡くなっても牧師からもその埋葬の立ち会いさえ拒否される。著者が意図したのは、拝金主義、貧富差拡大の資本主義への批判のようですが、残念なことです。

レーニンがこの小説読んで、これは左翼文学とは違う、これには夢がないと批判したようですが、お門違いのコメントでしょう。新世界では「ライ麦畑でつかまえて」となり、ある意味でロマンチックな小説ですが、そのモチーフで旧大陸で描けばこの「夜の果てへの旅」になる。少年ではなく大人として、そして青春期からその青春の終わった後まで書けばこうなると思いました。残念ながら長文で難解とも言える文体なんで日本じゃあ受けませんね、、、、






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