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「苦役列車」の続き [书]

先日の「苦役列車」の文庫本は、「苦役列車」と「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」の二篇が収めています。で、後者の「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」も読みました。そして、この本には、解説として政治家としてではなく小説家として石原慎太郎が書評を記してありました。

私小説としてのジャンルは私はあまり評価しないのですが、「魅力的な大男」とタイトルした石原の書評の通りだと思いました。面白いのは石原の文体が苦役列車の著者の文体を意識してか古風な感じ、石原慎太郎の作品はあまり読んでないので、氏が普段からこういう文体かどうかわかりませんが。

「苦役列車」は底辺の若者の描写ですが、これが著者の体験や生い立ちから産まれた作品ならいわゆる私小説ジャンルです。石原の指摘するように、では芥川賞受賞してから「苦役列車」の筆者は少なくとも底辺ではありませんから、どう作品を産んで行くのか?そこに興味があるわけです。

夏目漱石が露悪家という言葉で表すように、露悪家はわざと悪い部分を出して顰蹙を買うのですが、じゃあ、それは偽善家と所詮変わりはない。自分の底辺の生い立ちや生活を出汁に作品を産み、自分が豊かになったらどう作品を産むのか?露悪家は偽善家を「それは偽善だ!!」と批判しますが、では露悪家は偽善家とどれほど違うのか?

「苦役列車」で主人公の友人のガールフレンドが慶応ガールで、酔った主人公はむちゃくちゃこき下ろす場面があるんですが、底辺のもののプチブル批判(済みません、私の世代ではこの表現しかとれない)ですが、この場面はなんだかレトロな常套句のような感じがしました。

そして今やテレビにも出て来る著者は、そのプチブルそのもののステータスを得ている。さて、石原の言う「魅力的な大男」は真の大男になったのか?現在の作品読んでないので知りませんが。ところで、「苦役列車」を読んだ直後に「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を読むと、楽屋オチの感がしますが、面白いです。上がろうとしてもがくプライドだけは高く、でも小心でペシミスティックで何故か憎めない野郎で、極めて人間的。とても良い小品だと思いました。

「苦役列車」の方は時々、馬脚が出るんですね。底辺の若者を描いているのですが、実は違う、、、と。






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