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引揚者国庫債券と勲章 [raison d'être]

敗戦の8月15日には、亡父は旧海軍の舞鶴港で迎えたらしい。当時、いわゆる玉音放送を聴いてもラジオの電波状況が悪くて聞き取れず、勝ったのか?と一部で騒いだとか。亡母は朝鮮忠清南道大田府(現在のテジョンにあたる、チュンチョンナムドに属していたようですが、今は広域市となっている、日本の政令指定都市にあたるのでしょう)で8月15日を迎えた。

母は外地朝鮮生まれで外地育ち。二十歳を過ぎた頃に敗戦で、大田から満州の引き揚げ者とともに貨物車で釜山に、さらに引き揚げ船で山口仙崎港に、そして北海道の親類のところへ。亡母は朝鮮での生活のことはほとんど何も語ることも無く、何かと言えば外地は嫌だとだけ言っていた。

母方の祖父は朝鮮で尋常小学校の校長をやっていたようですが、子供頃に北海道で見た祖父はアル中でした。それでも祖母は、これでも昔は雅号(俳号)を持つ俳人だったと述べていました。亡父も亡母も戦時中のことはほとんど何も語ることはなかった。

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亡父は生前は叙勲を断り続けて亡くなった。徴兵され志なかばで戦死した同期の友人たちを思うと受ける気にならないと述べていた。母はいつまでも断り続けると変に思われるからと父が亡くなるとすぐに叙勲を受けた。叙勲の日付が父の亡くなった日であることは、最近になって気が付いた。

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毎年、8月15日に前後になると、母の引揚者国庫債券と父の生前受け取らなかった叙勲のことを思い出します。ちなみに、この引揚者国庫債券は母は受け取らず、祖母が代理で受け取ったようでした。


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